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消えた水のゆくえ、暮らしは再起動するby.So Ohashi

2020.06.08

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5月、ある平日の昼下がりのこと。在宅勤務をしていると、ピンポンが鳴った。ドアを開けると帽子を被った作業員らしき人が、困った顔で「大橋さんですか」と呼びかけてくる。なんでもその人は水道メーターの検針に来たらしく、僕の住む部屋の水道の使用量が前代未聞の数字を叩き出しているということだった。

 

「水とか漏れてないですか?本当に」と彼は、僕の開けた玄関のドアの隙間を疑り深く覗き込むようにして言う。普通に仕事中だったので突然の宣告に意表を突かれながらも冷静になる。確実に、少なくとも自分の知る範囲では、部屋の中が水浸しになっているなんてことはない--ーーー少なくとも僕の知る範囲では。戸惑いながらも彼に「NO」と伝える。彼は困った顔をして、「わかりました、では90万円ぐらいの水道代はなんとかしますので、大家さんとか、管理会社さんに相談して、早急に工事してください」と言って去って言った。最後まで、本当にこの人は何も知らないのだろうか、と言った顔をしていた。彼はおそらく水道メーター検針のプロであろうし、毎日の仕事であるに違いないのに、彼のキャリアの中でも相当珍しいことであるみたいに見えた。僕は仕事を中断し、ため息をつきながら管理会社に状況を伝えた。

 

それからしばらくして、何人かの水道業者と、管理会社のオーナーが訪問してきた。水道屋さんは少し日焼けしており、短髪に白髪と言った出で立ちでかなり信頼できるように見えた。彼らはこの部屋の水道が正常に機能しており、目に見えるところでは水が漏れていないことを確認した後、日頃回しっぱなしにしていた換気扇を止めた。数秒の沈黙があり、洗濯機が陣取っている一角の壁の裏あたりから濁流のような水の流れが聴こえ、まるでベタな映画のワンシーンみたいに、僕らは目を見合わせた。僕たちは一緒になってほとばしる水の流れを探した。

 

 

 

 

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図面を眺めながら苦い顔をするのが見えた。「申し訳ありませんが」數十分が経ってから、どこかへの電話を済ませた管理会社のオーナーが現れる。「地震か何かで、この部屋だけ水道管が外れて漏水してしまっているようです。直すには家の中から床をくり抜いて工事するしかありません」「はあ」「工事は数日で終わらせます。その間の暮らしは、こちらでホテルを取って連絡します」

 

ホテル暮らしはいささか退屈なものだったが、悪くなかった。僕は何年も前に大阪のフリーマーケットで買ったちゃちなバックパックに、数日分の下着や服とマックブックを詰めてそこでの生活を開始した。以前は出張が多い仕事をしていたのでビジネスホテルには慣れていたが、その中でもトップクラスに狭く、味気ない部屋だった。

 

テレビをつけるとニュースキャスターが新型コロナウイルスの感染者数を伝えていた。自粛生活を始めて二ヶ月くらいになる。たまにマックブックの画面に映る友達に話しかけるくらいで、長いこと仕事以外の知り合いに会っていない。でも不思議と時間はするすると流れていた。

 

緊急事態宣言が解除され、街に出る人の数は以前と同じように戻りつつある。自分もいつまでもうかうかしていられないし、外に出て人と会う用事もこなさなければいけない。しかし僕のライフスタイルは一変していたーーーーどちらかと言うとそれは良く思えた。

 

人と会うのを避け、外食をやめた。近所のスーパーには足繁く通うようになり、エコバッグを持参し、支払いはクレジットカードで済ませた。初めのうちは偏ったものばかり作ったが、料理をするうちに興味が湧き、日に日に新しいレシピに取り組んだ。たまに出来合いのお弁当やファーストフードで食事を済ませると以前より美味しくなかった。体が研ぎ澄まされたと気づく。瑞々しい野菜ほど体が喜んでいる感じがして美味しかった。

 

期せずして水道のトラブルもあり、家に人が入るため念入りに掃除をした。おかげで暮らしやすくなったし、目を背けていた一定のものにも向き合えている感覚があり、自信に繋がった。僕はビジネスホテルの、くつろげない椅子に腰掛け、マックブックで世界にアクセスする。今から発注しておけば、工事が終わって家に戻った頃に届くだろう。家電やコーヒーメーカー、服や観葉植物をネットで一気に注文した。暮らしの再起動に向けて。

 

しばらくして、管理会社から連絡があった。

 

「大橋さん、一足早く工事が終わりました。戻っていただいて大丈夫です」

 

 

 

 

 

 

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経済は停滞しながらも回り続ける。ありがたいことに仕事は忙しかったが、活動する舞台が危機にさらされている今でも、自分のやっているいくつかのバンドは動き続けた。スタジオに行けずドラムは長らく叩けていないが、ラッパーをしているバンドの方は目まぐるしく制作を続け、僕は三日に1バースのペースで書き続け、iPhoneで簡易的に録音をして共有した。楽曲は今までにないスピードで完成していった。

 

たまに Youtubeの画面越しに世捨て人のようなラッパーを眺める。「音楽」をしていた。もう長いこと、自分の家で、自分のメンバーと音楽を作っている。比べるものがない以上、それが良いのか悪いのかもわからない。自分なりにはその時のベストで、満たされたような気もしている。これからじわじわと、街には人が溢れ出し、感染と隔離を繰り返しながら、また次の社会へと順応をして行くだろう。僕たちはどこかで合流するーーー次の階段を登るため。

 

自粛期間中、自分と向き合う時間が多かった。改めて見ても、僕の人生は奇妙なものだった。誰も僕の全てを知る人はいない。僕はそれを言葉にしたためたい。ラップでもいい。表現する端々に自分を宿らせたい。分かってほしい。分かり合いたい。

 

遺伝子が拒否しているのに寝る前にはウイスキーをストレートで飲む。昏睡しないように眠りにつく。それには深い意味はない。意味を持たせるなら、自分がこれまで経験したことを忘れていないから、今生きていることが幸せだから、それでしかないのかもしれない。

 

人が断捨離をする気持ちと似ているのか、心の余白を少しずつ生み出せている実感があって、瞑想に興味を持ち出した。世の中の混乱した状況、出どころの分からない情報のもたらす不安感や、身の回りの雑念から解き放たれ、自分という存在以外から何ものも触れられないくらい、客観的に今を見つめること。それは自分の書く言葉やリリック、他人への言動、行動に深みを増してくれるかもしれない。長い時間をかけて少しずつ前を確実に見つめ出したような気がする。

 

コースアウトした水道管が吐き出した25メートルプール一杯分の水は、部屋には一滴も漏れてこなかった。地中のブラックホールに吸い込まれていったのだ。どんなに困難に思えた出来事でも、時間のサヤに収まっていった。

 

時に、自伝を書くのもいいかもしれないと思った。降りかかり続けるエピソードを、少し楽しみ始めている自分がいる。こんなくだらないエンターテイメントでも、他人を楽しませることができたら丁度いい。

 

これも物語の一端に過ぎないので、今日もコーヒーを淹れて一日を始めた。

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