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喫茶 つぐみの部屋 #12by.秋光 亜実

2020.06.07

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喫茶つぐみの部屋

部屋の窓から見る景色にもさすがに飽きかけている昨今、いよいよ空が夏の顔を見せはじめている。ベランダから望む、国道沿いに立ち並ぶ大きな木々は青々と茂り切って、その足元に散り散りに咲く花々は極彩色に踊る。それらを揺らす風は生あたたかく、額や、肩と首の隙間を滑っていく。春を失った私たちのもとには、何事もなかったかのように夏が訪れようとしているようだ。

久しぶりにワンピースを引っ張り出した。4年くらい前にリサイクルショップで手に入れたピンクの小花柄のコットンのワンピース。小学生のとき夏休みに着ていたような、おあばちゃんに手づくりしてもらったような、そんな雰囲気で決しておしゃれとは言い切れない。これを着て銀座や新宿には行きにくいけれど、最寄り駅の商店街に行くにはちょうど良い。そんなかんじに愛嬌があってかわいくて、からだが包まれるとなんとなく落ち着くワンピースだ。

ガーリーで甘すぎるのは嫌なので、靴はベージュのVANSオールドスクールを選ぶ。少し重みを感じる足で自転車に乗ってペダルを踏み出し、ベランダから見える大きな木々の下を滑り抜けてみた。照りつける太陽の光が肌と交わる音、葉が風に吹かれ無防備に揺れる音、一体どこにいるのか音だけで存在感を発揮する虫の鳴き声。「空が夏の顔を見せた」と言ったけれど、街に出ると「夏の声」も聴こえてくる。昔から知っていたけれど忘れてしまった何かを思い出したのか、はたまた大人になったからこそ感じることができるようになったのか、空の下、緑を横目に自転車で駆け抜けるだけで時空を行き来するような不思議な体験をしている気がしてくる。窓からただ見ているだけでは味わうことはできなかった感覚だろう。

街の本質はさほど変わっていない。見たかんじだけではそう感じる。しかし人々は「元の生活」に戻ることを願いながら「新しい生活」に向けて動き出している。
地上波の電波の中で繰り広げられていることだけでわかった気になり、無下に断定される世の中に嘆き切なさを覚えはするが、自分が体験して知り得た「本当のこと」はいつまでも心に留めておくことができるし、豊かでいられるはずだ。体験を元に得た、誰のものでもない自分だけのものを、心の隅に存在させていたい。より敏感に、自分の内に眠る感覚に正直でいられている今を丁寧に過ごしていようと思う。



最近触れた作品は又吉直樹さんの「人間」。
読み深めるうちに自分のことを言われているのかと度々唖然とさせられ、書き留めておきたい表現も多数あった。それと同時に、芸人としても作家としても一線で活躍されている又吉さんにとっても、人としての平凡で普遍的な苦悩から、文化人・表現者・芸術家として、当事者にしか解り得ない葛藤を抱き生きている時間があるのだろうと想像させられた。経験した者にしか放てない苦い言葉にも、痛々しくも触れることができ、程度に個人差はあれど、ひたむきに実直に生きている人間ならば誰しもに響くのではないだろうか。自分自身や周囲を疑いながらも逃れられない人生に、不器用に下手に向き合う主人公が真っ直ぐで土っぽい「臭み」のある物語。主人公と自分を重ねて情けなさを感じつつも、あまり味わったことのない読み応えと満足感。その不思議なバランスに心地よさをも感じ、好きな作品のひとつになった。そして読み終わった後、すぐ手に取ったのはずっと本棚に眠っていた太宰の「人間失格」である。それも含めて「自分の表現」のようなものを追い求めている人がいれば、是非薦めたい。



1秒後を迎える瞬間がある、それは何にも代え難い幸福なことかもしれない。今、必要とされていることは、脳や心や視界をクリアにして、濁りのない世界を自分でつくってみることのような気がする。それは次に発する言葉に影響してくるのだろう。同じように、明日も明後日も続く日々を変えていく力になるだろう。

いつもの時間にお湯を沸かし、いつものカップにコーヒーを入れながら、ぼんやりとそんなことを考える。明日も明後日も。

2020.6.7

喫茶つぐみの部屋

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