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BLACK BOX 01 | 父親が生きているか知らないby.So Ohashi

2020.08.08

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“BLACK BOX” − セルフ・インタビューの形式でお届けする、27歳の一般人男によるインターネット自伝。

 

 

 

 

ー家族構成は?
母と父、姉と僕の4人です。

 

 

ーお母さんは何をしている人なの?
母は東京で一人暮らししながらフィットネスジムで働いてます。

 

 

ーお姉さんは?
姉は既婚で旦那さんと神戸で暮らしてます。

 

 

ーお父さんは?
今何してるか知りません。

 

 

ー何で知らない?
長いこと会ってないから。というか生きてるか死んでるかも知らないんです。死んだら連絡が来るのかも分からないし、生きているともあまり思えない。

 

 

ー離婚して連絡を取ってないとか?
簡単にいうとそういうことです。

 

 

ー何が原因だったの?
一番最初は、僕が高校一年生の秋頃、確か体育祭の日だったんですけど、父親がICU(集中治療室)に入ったと連絡が。仕事帰りに飲みすぎて、階段から落ちて頭を打ったと。

 

 

ー大丈夫だったの?
何とか一命を取り留めました。しばらくリハビリに時間はかかりましたし、病院に会いに行ったら僕も、姉ちゃんの名前も覚えてなかった。記憶喪失ってやつですね。そのあと、記憶と身体の部分が徐々に復帰できて、驚異的に仕事にも復帰していました。

 

 

ーお父さんは何の仕事をしていたの?
某新聞社で編集・紙面レイアウトの仕事をしていました。さすが大手というか、僕も高校生ながら父のそのリハビリ期間が割と長かったことを記憶していますが、よくクビにならなかったですよね、今思うと。リハビリ期間が終わって家に帰ってきて、家族に謝罪していました。飲みすぎてこんなことになってすまんって。

 

 

ーそれからどうなったの?
一年ぐらい経って、全く同じことが起こりました。仕事帰りに階段から落ちて、頭を打ったって。デジャヴかよって思いました。再びICUに。今度は打ち所が悪くて、脳に後遺症が残りました。医学的には高次脳機能障害というものです。

 

 

ーそれってどういう症状なの?
普通に暮らすことはできます。彼はまたしばらく経って仕事に再び戻って行ったのですが、何とか働けていました。つまりそれぐらいの関わり方であれば、そこまで周りの人が異変を感じ取れないようなレベル。でも、一緒に暮らす家族にはめちゃくちゃ違いがわかる。障害が残ったのは理性や判断能力を司る部位で、気性が荒くなったり、金の使い方が荒くなったりします。僕がちょうど大学受験を始めたような段階で、部屋にこもっていてもよく怒鳴り声が聞こえました。母は鍵のない和室で寝ていました。身を守るために枕の下に包丁と通帳を隠していました。金銭管理や欲求のコントロールができないので、よく分からない出会い系的なサービスなどに気づいたら金をつぎ込んでおり、気づいたら口座がすっからかんになっていました。

 

 

ーそれから家族はどうしたの?
まず、身の危険が一番でかかった。母と姉と三人でよく考えました。父方の親戚とはもめました。面倒を見てあげてくれって言ってきたけど、もはやこちらでコントロールなんかできなくて、僕らは僕らの身を守ることで精一杯だった。親戚と縁を切り、僕らは影で引越し屋を手配しました。父親が仕事に行った瞬間、荷造りを開始し、一つの部屋にダンボールを積み上げ、夜はその部屋に鍵をかけて眠る。翌日の昼間に引越し屋を呼び、逃亡しました。それ以来、父親に会っていません。真昼間だったけど、そのことは家庭内夜逃げと呼んでいます。

 

 

ーその後のケアは?
多分暴れたり、母親に何とかして連絡をつけたのだと思うし、多少のやりとりがあったのだと思います。そこは僕や姉に不安を与えないように母親がやってくれた。弁護士を通じて、何ヶ月かかかって離婚調整を成立させました。新しい家は、生活レベルはかなり下がったけれど、僕らは平穏な暮らしに満足することができました。僕はもう大学生になっていて、市役所に行って、免許証や証明書類の名字を変え、戸籍を母方の方に変更しました。

 

 

 

 

 

 

ー今振り返ってみてどう思う?
僕らは強かったと思う。特に母は、ストレス半端なかっただろう中、限界まで生活を維持しました。よく冷静に最後まで子供を連れて逃亡してくれたなと思います。姉は就職の時期だったので即働いて、家に金を入れてました。自分も大学受験、めちゃくちゃ勉強して、5人に1人の特待生奨学金を取り、1年分学費免除に。私立大学ですが国公立より安い費用で通いました。でもそうするしかなかった。その後、大学でバンドにどっぷり浸かるも、就職を選んだのはそういうところからです。そうするしかなかった。それでもめちゃくちゃラッキーだったと思います。ちゃんと自立するまでなれたことが。

 

 

ーその時のことを辛いと感じる?
当時は辛かったけど、今は全くです。むしろ本当に経験できてよかった。辛いことってそういうもんだなと思います。家族ものの映画とかは結構苦手になってしまったし、幸せな家族コンプレックスは根強く残ってしまったけど。でも友達が結婚して家庭を持つような歳になってようやく、幸せな光景を見たり聞いたりすると、心からめでたいと思えるようになってきました。傷口が閉じた感覚があり、自分の中でネタにできるようになってから、僕は大人になってからも波乱万丈な人生を送るのですが、このことが一番の原点になっています。マイナスをプラスにしていこうと一番強く願い、実行した期間でした。母と姉がサバイブして、幸せを見つけて向かって行ったことを誇りに思うし、自分もこの体験を強みにして勝ち抜いていきたいなと思ってます。今でも。

 

 

ー父親のことをどう思う?
評価はできません。実の父親であり、この人がいないと僕は生まれていないし感謝しています。自分が社会人になってめまぐるしく働いているふとした日々の隙間、寝る前にウイスキーを飲んでいる時、この人に自分を重ねる時があります。ストレスを溜めてたんだろうな。俺は絶対にアル中にはならねえと思いながら、重なっていく恐怖もあります。自分は自分だってそういうときは自分に言い聞かせたりします、違う人間だって。
だけどそうしたことが全て自分の糧になっています。

 

 

 

(Interviewer & Interviewee: So Ohashi)

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