“BLACK BOX” − セルフ・インタビューの形式でお届けする、27歳の一般人男によるインターネット自伝。
ー「家庭内夜逃げ」を経てお母さんがヒンドゥー信仰になったところまではわかりました。ところで音楽はいつからやってるんですか?
きっかけは小学校の音楽室にドラムセットがあって、試しに叩かせてもらったら割とすぐ8ビートが叩けて先生に褒められたことがきっかけです。それから、なんとなくいつかドラムがやりたいと思っていました。ちゃんとやったのは中3の時に10年やったサッカーをやめて、中学の軽音楽部に入ったあたりからだと思います。
ー中学校に軽音楽部があるのは珍しいですね。
そうかもしれないですね。中学校の時は軽音でドラムを叩かせてもらいつつアコギで弾き語りで文化祭に出たりしました。その頃から自分で曲を作ったり歌ったりはしていました。一緒に「音楽がやりてえ」って衝動的にサッカー部を辞めて女子ばっかりの軽音部に入った友達がいて、彼とは別々の高校に行くものの高校に入っても同じバンドで活動をします。これが「Brother Wright」という高校生のバンド。
ー当時のことを知ってる人はいますか?
もうすごく少ないですが、地元が同じでよくライブハウスで会っていたアフターアワーズの鉄平とか。あと同じ高校の軽音楽部の先輩として音楽ライターの峯さん、後輩にズカイのマンクモがいます。今も音楽に携わっててかつ交流があるメンバーだとこのくらいですね。今思うとBrother Wrightは、高校生のくせに600人くらいの前でライブしたこともあって地味に凄かった(当時をなかなか超えられない)。この時のメンバーのうち二人は今は「SHE’S」でメジャーデビューして活躍しています。大阪の茨木市というところにある高校に通っていた頃の話ですね。
ー高校の時は何を聴いていた?
軽音ではASIAN KUNG-FU GENERATIONをメインでコピーしていました。「ソルファ」は全曲やるくらい好きだったし、ドラマーとしてはこのころは毎日ガムテープでぐるぐる巻きにした「少年ジャンプ」を叩いて繰り返し基礎練ばっかりしていたので、伊地知さん的なタイトなプレイに自然となっていきました。次第に先輩の影響で洋楽を聴き始め、Oasis、Libertinesに衝撃を受け、周辺のUKロックを聴きあさり、また60年代のBeatles、Rolling Stones、Kinks、Velvet Undergroundあたりを聴きまくり。高2くらいからしょっちゅう帰宅する途中にある図書館でCDのレンタルをやっていたので無料でアルバムを10枚ぐらい借りてはiPodに入れて聴き漁っていました。60年代から90年代へのガレージロック・リバイバルを知り年代ごとに変わって行くロックというものがとても面白いなと思い、David BowieとかSmithsとかJamとかを聴いては網羅的に意識して聴いていましたね。その頃は映画にもはまっていてヌーヴェル・バーグとかにどっぷりだったので、トータルでは60年代頃のカルチャーが一番心惹かれていました。ローファイだし土臭くてざらざらしているんだけど、ものすごく純粋な何かが作品に宿っていて。
ー一気に音楽の幅が広がったんですね。邦楽だと?
あまり詳しくは覚えてないんですけどスーパーカーとか、曽我部恵一バンドとかはめちゃくちゃ聴いていたような気がします。サンボマスターとか。あと軽音でアンセム化していたJUDY AND MARYとかそこらへんも欠かせなかったですね。チャットモンチーとかが割と売れていたと思います。普通に売れているギターロックも好んで聴いていました。Brother Wrightが終わった後にも3ピースで日本語のギターロックバンドを組んで活動していたりしました。これが学外で2つ目のバンドかな。
ー大学に進学してからは?
自分でやっているバンドが解散し、ドラマーとして同じ大学の軽音楽部で活動していたメンバーとThe Foglandsというバンドで活動します。くるりを輩出した京都の立命館大学だったのでオルタナ、ギターロックが強かったのですがこのバンドはゴリゴリにガレージロックとブルースを極めるバンドでした。フロントの春信とLibertinesとMando Diaoで意気投合したのが始まり。在学中にEPをレーベルから全国リリースさせてもらったり東京や地方に遠征したり、多くの出会いと経験をくれました。迷いながら自分は就職して、働き始めてしばらくして解散となってしまうのですが、今でもここの活動を通して出会った人が多いです。
ー大学生の時は何を聴いていたんですか?
高校の時にある程度洋楽を一通り聴いていたので、大学に行ってから話が合う人に出会えることがすごい嬉しかったです。当時、後輩の二人、ズカイのマンクモ、WallflowerでサポートをしていたRina Mukaiが確かインディーロックをめちゃめちゃ教えてくれて、関西のインディーパーティやレコードショップなどの情報がインプットされていた状態だったので、自分のバンド活動がそこに接続していく感じがめちゃくちゃ面白かったですね。当時、海外志向で作られた音楽ってまだまだ隔てられていた印象でした。Captured TracksからリリースしたJesse Ruins、とか大阪南堀江のFlake Recordsが発信する音楽とか、音楽ブログから火がつく感じとか、何もかもマニアックでめっちゃ面白く感じていました。その時期に関西からはPAELLAS、HAPPY、Noise and milk、The fin.、Homecomings、などが各地で出てくるも、それぞれに系譜がちゃんとあって。京都METROでロックDJがUS/UKロックを回すパーティがあって、ゲストライブでよく友達が出ていた。そんな光景はめちゃ懐かしいですね。
(Interviewer & Interviewee: So Ohashi)
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