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2019.06.01

【ACTION】リレー小説
『夏の白昼夢』#6


挿絵:Takuro Enomoto

 

肌にまとわりつくような湿気。あの蒸し暑さが懐かしくなるが、思い出せないくらい遠く感じる。
季節が変わる前、僕に見えていたものは何だっただろう。

 

広々と開かれた窓のおかげで遠くに海が見える、少し珍しい立地のファミリー・レストラン。
夏の間サーフィンに勤しむ小麦色の人々の影はなくなって地元のお客さんばかりなのだろう。
時間を忘れてブレンド・コーヒーを啜り、広げた新聞の一点ばかり見つめるお年寄りの姿を眺めるのも悪くない。
気温が下がるとある一定の哺乳類は冬眠へとその準備を始めるという。
僕の頭のネジも少し外れかけてはガタガタと不調をきたしているのかもしれない。
もう何日も着ているフリース・ジャケットを脱いで、ウェイターにミックス・サンドウィッチとブレンド・コーヒーを注文した。

 

横浜の中古車センターで古いカローラを買った。
走行距離の割には今の所特に不自由な点はない。エンジンとブレーキがかかればそれで良いのだ。
いささか不安げな顔をした女性の店員をバックミラー越しに見た。
側道に滑り出した旅の始まりだった。

 

カー・ナビゲーションは付いていたが、目的地という目的地もなかったので、取りあえず北に向かった。
話し相手もおらず、空白を埋めるように音楽を聴きたかった。
ブルー・トゥースもついていなかったので、カー・ラジオから適当なFMを流しては耳を傾けた。

 

ある一点をきっかけに、仕事が忙しくなった。それは何かの始まりを予兆していた。始まりでもあり、終わりでもあったのだ。
もっとも、すぐに決断はできなかった。それは自分という人間の空白に入り込んできた煙のように充満し、内部から僕をくらくらさせた。
十分に助走を取る癖があった。
それは時計の針が倍速で回る様を、残酷に僕の目の前に突きつけた。
両側で回る大きな車輪に引きずられて行く感覚があった。始まりは小さなことで、誰にでも起こりうる小さな失敗だったのだ。

 

 

 

夜の三時に羊男が現れた。
それには初めて会った気がしなかったので、軽く頭を下げて挨拶をした。
眠りが浅かったような気がするが、そこには時間という概念もなく、疑いも持たずに僕は目の前の白い物体に目を合わせようとしていた。

「あるとき、音楽が鳴ったら」
羊男が言った。

「何も考えずにこの家を出るんだ。できるだけ遠くにね」
どちらかといえば柔和に見える表情を僕に向けながら、ゆっくりと彼は話した。

「ずいぶん長くかかったけど、そろそろ君に会わないとと思ってね。大丈夫、君のやってきたことも、行きたい場所も知っている。わたしはこんな見た目だけど、君の人生を脅かすような悪いやつじゃないから、安心してほしい。どちらかというと、わたしは君みたいなもんだよ」

「あなたは、僕の」

「わたしは羊男だよ。君もどこかで聞いたことがあるだろう。残念だが、それ以上でもそれ以下でもない。イメージと違ったら申し訳ない」

 

 

 

然るべき季節が流れた。僕は疲れていたし、その日もウイスキーのミニ・ボトルを水に混ぜて飲んで、すぐに眠りについていた。
夢は見なかった。

彼の言う音楽が鳴ったので、歯ブラシと髭剃り、下着と靴下、いくつかのシャツとトレーナーと替えのジーンズをバックパックに詰め込んで家を出た。

悪くない別に、とラッパーが言った。どこかで聞いたことのある響きだった。

 

 

 


僅かに褪せたような気がするジーンズのインディゴ・ブルーを見て、生きてきた時間のからくりを想像するのだ。それは他人には分からない私的なタイム・ワープ。

今も赤レンガのアパートに住んでいる。朝は家を出て仕事に行くし、夜は少し低いベッドに腰掛けてウイスキーを飲む。たまに懐かしい友だちに電話もするし、眠りに身を任せて休みの日を台無しにもする。栄養には気を使うようになったけれど、それは年齢のせいかもしれない。

どこかの時点までは夢だったかもしれない。今となっては思い出せないことだった。
季節が変わる前、僕に見えていたものは何だっただろう。

 


So Ohashi: ゆるい表現者の集団「SALON」オーガナイザー。TENANT 101メンバー。SALON全般の企画・運営を担当。バンド「路地」のドラマーでありラッパー「MC FREEMASON」としても活動。親が読んでいた村上春樹をきっかけにカルチャーの沼に没入した。
■SALON presents リレー小説「夏の白昼夢」全6回
「夏の白昼夢」#0  ▶︎So Ohashi & イハラカンタロウ (企画会議)
「夏の白昼夢」#1  ▶︎イハラカンタロウ
「夏の白昼夢」#2  ▶︎Allancmo
「夏の白昼夢」#3  ▶︎ふゆふきうどん
「夏の白昼夢」#4  ▶︎YUUTO
「夏の白昼夢」#5  ▶︎すずきえりか
「夏の白昼夢」#6  ▶︎So Ohashi

企画/So Ohashi & イハラカンタロウ
挿絵/Takuro Enomoto

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▶︎SALONリレー小説「夏の白昼夢」ZINE 販売ページ