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2018.06.17

【ACTION】リレー小説
『夏の白昼夢』#3


挿絵:Takuro Enomoto

夕方近く、煙草を吸うために喫茶店に入った。
私は暗い喫茶店が好きだ。
二人がけの小さいテーブルに、よく沈めそうなソファが配置されているのが見えた。真夏の眩しい街の中で、ここだけが暗くて、今私だけに見えているのかもと思わせるような魅力がある。
ドアを開けると控えめに、カラン・コロンと鳴った。
メニューもろくに見ずにブレンドを頼む。コーヒーは苦ければなんでも良い。
ポシェットから煙草を出す。火をつけて、煙を吐くとゆうれいみたいな白いかたまりが私の顔にへばりついて、それから天井へ消えてゆく。
灰皿を引き寄せたその手を見た。マニキュアを塗ったから、違う人の手みたい。赤が淀んだような色が好きで、この色のマニキュアばかり買ってしまう。テラテラして、きれい。照明にかざす。ちょっと肌が焼けたかしらん。
どうせ疲れて喫茶店に入るなら、本なりなんなり持ってこればよかったな。とはいつも思う。普段かなりの出不精である私は、出かけるとなると前の日から着る服を決めて、鏡の前でクルクル回ったり、マニキュアを塗ったりするが、当日になるとやっぱり止めたくなってしまうから、急いで家を出てしまう。だから煙草と財布と口紅しか持てない。自分を騙せる時間が短いのだ。
吐きだす。次のかたまりはみんなすぐ方々へ散らばった。ゆっくり瞬きをすると、赤い蝶ネクタイをつけたマスターがガチャン!と音を立ててブレンドを机に置いた。
「ミルクは?」
「結構です。」
「はい。」
結局マスターはミルクをテーブルに置いて去った。
コーヒーにミルクと砂糖を入れるならカフェオレを飲めば良いのに。とか、コーヒーにこだわってるお店に入ってカフェオレを頼むな。とか、映画にはポップコーン、電車では静かに、エスカレーターは歩かず、お会計の前に小銭を。とか・・・私にはルールが多い。そのせいで外に出るとルール違反ばかり目に入り、まともに歩けなくなってしまう。
とことん自分のムードに踊らされていると言える。
もしや、マスターがミルクを置いて行ったのは私への暗示ではないだろうか?と妙に真剣な顔つきになってみる。
煙草を消して、ソファに座りなおす。小さなコーヒーカップの海に自分の顔を映す。何かを打開しよう。
私はミルクポットを指でつまんで持ち上げ、コーヒーにミルクを少し、垂らした。ミルクはポタ、と入って一瞬、コーヒーの中からミルクを見つけることができない。どこへ?そのうちミルクはもわんとコーヒーから現れて、私を見て笑った。「もう帰ってこないと思った?」と。
あのとき着ていたティーシャツは実家に置いてきたし、あのとき聴いてた音楽も全部全部置いてきたのに、私はどうして思い出さずにはいられないんだろう。深夜三時、家をこっそり抜け出して、近所のコンビニまで走って行き、冷たいジュースを買う。雑誌を立ち読みするフリをして、外に流れる車を目で追う。すると一台目の前で止まり、中の人が手招きをする。それを合図に私は・・・私は・・・涙を流して「会いたかった。」と言った。
先週も先々週も同じことをしたのに、車に入ってあの人のサボテンと煙草の甘辛い匂いをかぐと、ぎゅうと胸が潰れて、反動で涙が出た。本当に。
それが長い長いあの夏の習慣だった。
ダブサウンドが流れている。私は車の窓を開けて、髪をバラバラと放り投げた。
「眠くないの?」
「眠れないよ。」
「どうして?」
「分かってよ。」
「分からないなぁ、海へ行くんでしょ?寝ておかないと、身体がもたないよ。」
「じゃあ少し寝ようかな。」
嘘のつもりで言ったのに、通り過ぎる景色を眺めるうち、眠ってしまっていた。
「着いたよ。」
そう言われて車を出た。港の広場のようなところだ。無機質なコンクリートの道が続いている。私は急いで両手でドアをバタンと閉める。閉め方があって、ドアのノブを上にあげたまま閉めなければいけなかったのだが、いつもうまくできなくて、何回目かのチャレンジの後、先を行くあの人を寝ぼけたまま追いかけた。
「待ってヨ。」
もう少しで追いつく。
「手をつなごうか。」
そのまま歩いたのか、走ったのか、座ったのか忘れた。忘れてしまった。
早朝の海には波がなくて、しんとして、空はピンクと青が混ざり合って、わたあめの色だった。
後ろに回って、外されて、そのままじいっとしていた。海はどこまでも続いていて、日に反射してキラキラしている。息を深く、吸って、吐いた。
冷たい身体に暖かい手がするりと入って私を掴んだ。甘い匂いと煙草の匂いと、服の擦れるかすかな音、声、車、呼吸、鼓動、風、遠くの世界の人たちの歌う声や叫び声まで。今私は私のものではなく、あなたのものなんだわ。
私はわたあめ色の水着を着て、恋の中に溺れて、自分が今どこにいるかも分からないまま、手足を動かして水面を目指している。今でもずっと。こんなふとした瞬間に、今でもずっと溺れていることに気がついて、余計な酸素をゴボゴボ出してしまう。
その後ふいに立ち上がり、何にも言わずに一人で歩き始めたあの人は、ずーっとまっすぐ歩いて行って、背中がだんだん遠くなった。私は広場の階段に座って、膝を抱えて見ていた。
そのうち姿が見えなくなって、私は追うのを諦めて海を見つめていた。三十分くらいして、帰ってこなくて、私は寂しくて、モジモジして、また泣き出した。
ここでずーっと待っていよう。もしも暑くなっても帰ってこなきゃ、フラフラ歩いてみようかな。お母さん、ここはどこだろう?私、あの人が好き。ここでずーっと待ってれば、戻ってきて、私を世界一の花嫁にしてくれるはず。今まで恥ずかしくて言えなかったんだ。僕にはもったいないと思って、自由に生きて欲しかったんだ。だけど僕は君を一生離せないよ。僕だけのものになっておくれ。さもなきゃ僕は、ここで死ぬよ。
ボロボロ涙がこぼれてきた。
ぬぐっても、ぬぐっても、あふれて、走って、探し出して、捕まえて、私が殺して終わりにしよう。
そう決心して立ち上がり、振り向くと、あの人がコーヒーとパンを持って立っていた。
「もう帰ってこないと思った?」
ガタン!!!
横のテーブルの音で我に返った。
前のテーブルで荷物を片付ける女と目が合った。「起きましたね。」を含む互いの苦笑い。
店に入ったときから机に突っ伏して眠っていた男が目を覚ましたのだ。水のグラスと飲み終わったアイスコーヒーから滲み出た水滴で顔が濡れている。
きっとこの人もあの時の海に溺れてたんだわ。と思うと乾いた笑いが吐き出す煙と一緒に漏れた。彼は海に入ったのかしら。私は結局入れずじまいだった。
海に入って抱き合えば、この氷みたいに溶けて水になって、あなたと一緒になれたのかしら。

私は財布から小銭を取り出して 、机の上に積み上げた。


ふゆふきうどん:
21世紀の女の子のプライヴェートロックンロールを歌うシンガーソングライター。これまでに2枚の音源をリリース。本能に従ったむきだしの歌にはなぜか圧倒的なロマンスが宿る。ピザとコーラ、チョコレートとバニラアイスクリームが世界の中心。