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2019.04.13

【TENANT 202 一文字風平】惑星の感触 #4 「交感」という言葉について

「交感」という言葉について

何年か前の11月の夜、大阪の天満で酔っ払ったあげく、天まで登る気持ちで友人と2人、星を見に行こう!と真夜中にママチャリで2ケツして海遊館へ向かった。その日はその連れの誕生日だった。

何とも脈略がなさすぎて訳の分からない話だけれど、贅沢な無駄話をすることが何よりも豊かな時間だった。彼女はNY帰りのダンサーで、好奇心旺盛、行動力も抜群、いつも何かの種や閃光のようなものを携えている存在だと僕は思っている。

ありとあらゆるくだらない話題も含めて、あれやこれやと話しながら自転車を漕いだり歩いたり、踊ったり走ったり歌ったりしながら、大阪の夜の街を徘徊している最中、「交感っていうことなのか!」という言葉が唐突な閃きと共に僕の口から飛び出した。

今となってはどういう文脈から出た言葉なのかはわからないけれど、程よく酔っ払った頭と身体に、確信と閃きが満ちていた。

「交感」

字義の通り、「感覚を交える」という意味合いである。

その時、英語で言うと「Expression?」「Exchange?」という話になったけれど、どちらも満足いく訳語にはならないと思った。

至極当たり前のことではあるが、会話、ダンス、喧嘩、お祭り、音楽、絵画、スポーツ、漫才、ありとあらゆる芸術、セックス。人間をめぐる何から何まで、もしかすると全ての動物についてもそうかもしれない。

「感覚を交える」という極日常的な行動・在り方が、突き詰めるところ生き物の不可思議な本質を象徴するひとつの神秘だと、日常的な感覚でもって、しっくりと腑に落ちたのだ。そして、万象へと広がるいくつもの扉が開かれたように感じられた。大袈裟な物言いをすればつまりそういうことだ。

 

全ての生き物、突出して人間という種は皆「交感」で成り立っているのだ。自らと他者、時に対象は複数であっても、確固たるひとつの存在同士が感覚を交え、時に一体化したり、未知なる色彩が生まれたり、濁るように混ざりあったり、水と油のごとく溶け合えないように、そんな風に感じながら。

 

少なくとも僕自身は、感覚、フィーリングというものをとても大事にしながら、重要なものとして生きているのだなと思う。

物質的な真理は、それはそうであるものとして、結局は確たる個としての自分自身を中心に誰もが生きている。宇宙、この世界の中心は誰もが自分自身のはずだ。

だからこそ絶対的な正しさなどない。社会における決め事やシステムはあくまで便宜的なものであり、必要ではあるが絶対ではない。共感や正当性が全てではなく、多様な感性と交感すること、それ自体に意義があるのではないだろうか。

だからこそ皆自由でいてほしいのだ。少なくとも自らの感性においては。

 

"この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

 でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。

 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。

たとえば、星を見るとかして。"

池澤夏樹『スティル・ライフ』序文より(1988年・中央公論社)