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2017.08.15

【TENANT 202】#3 惑星の感触

『”風土”という言葉について』

 

風土、ふうど。

 

普段の生活では使うことはないけれど、生活圏を離れてどこか見知らぬ土地などを訪れた時には、「この土地の”文化”は…」あるいは、「この土地の”風土”が…」といったことを考えたりする。こういう時、表現としては前者の方が耳馴染みはいいけれど、筆者にとっては、後者の方が言語感覚、感性としてしっくりくるし、ひゅっと惹かれる。

 

これはおそらく、ある対象 (この場合は見知らぬ土地など) と向き合った時に、何に眼を向け、解釈し、どう自らの理解におとしこむのか、という作法のちがいとも言えるのだろうと思う。

 

なんといおうか、ちょっとやそっとじゃ揺るがない、時間をかけてじっくりと培われ、形成されてきた土壌、生活、感性、生業、音楽…などなど、そして何よりもその由来ともなる気候や地形といった自然環境などを、総体的に、自由に想い起こさせる、という点で”風土”という言葉が好きなのだと思う。

 

言わば、”文化”は人間の小手先、あるいは脳みそ・頭脳の次元で創り出すことができるから、スマートフォンのタッチパネル上にしか存在しえない文化もあるだろうが、”風土”というもの、あるいはその視座においては、自然との共生を土台とした人間の生の営み、もしくは、自然というフィジカルで確固たる次元・循環のなかで生を営む、”ひとつの生き物としての人間”と自然環境、これらの、互いに決して切り離せない両者の関係性に、柔らかくも鋭い光をあてるような言葉なのではないだろうか。

 

こういったことを考えるようになったのには、紆余曲折、色んな理由があるけれど、おそらく、インターネットっていう、革命的で、地球上のあらゆる世界を、液晶画面を通して繋げることができるテクノロジー、文化が浸透している状況に対して、何か思うところや感じるものがあったからだと思う。

 

ディスプレイ上の世界が人々にとっての日常ともなっている現在、本当の、リアルな、真に迫った、表現や感覚や存在、といったものの拠り所として、よりフィジカルで身体的な感触をとおして実感できる”風土”という存在・言葉が、ぼくのなかでごく自然に浮上してきたのだろう。

 

もちろん、インターネット上の世界にリアルを感じたり求めたりする人もいるだろうし、紙としてのページをめくるのも、ディスプレイ上の文字をスマートに滑らせることも、何ら変わりないと感じる人もいるだろう。

 

ただ、あたりまえのことかもしれないけれど、「風土は文化に先立つ」し、「文化が風土を変えていくこともある」といえる。

 

動物としてのヒトが生きる環境・風土、自然から半身を離れたヒトがつくる文化、これらは表裏一体であるし、何よりも両者のバランスが肝要であろうことは皆感じているはず。

 

ヒトがどこへ向かおうとも、どんな変化を遂げようとも、地球上に存在する多様な風土からは離脱できないし、ないがしろにはできないはず。生き物が棲めない星にもそれぞれに風土があるだろうし、ぼくたちは地球という星に生まれてきた。

 

黒人、イスラム教、日本人、アマゾンの原住民、マサイ族、ベルベル人…

 

この星の上には多様な人種や宗教、民族、国家という”文化的な枠組み”があるらしいけれど、その背後にある”風土”なくしては語れないはず。

 

人類は、多様な風土への順応と、そこから生まれた多様性という、ギラリと光るチャーミングポイントでもって生き延びてきたし、同時に殺し合ってもきたはず。

 

土地は元々、誰のものでもないし、ただ朴訥と、太陽の周りを回る地球という星があるだけだ。

 

朝がきて、昼がきて、夜がきて、何度も季節をめぐる、めぐる…

 

山も海も、森も川も、空だって、

生きているのだ!

 

なんといっても、ヒトよりも遥かに大先輩、気が遠くなるような時間のなかを生きている。それに、沢山お世話になってきた家族のようなもの。

 

あたりまえのことであれど、言いたいことはまっすぐに言うに限る。