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2018.01.18

【TENANT 306】月世界宙がえり #2

「給水塔の前で待ってて」

1

「かんちゃん、最近毎日お酒飲んでるって、たくさん飲んでるんじゃないでしょうね?ちょっとは良いけど、毎日たくさんは嫌よ」
一月三日、僕は祖母に私生活に対してのお説教をされていた。

「今年はお正月、おばあちゃんのところ行こうよ」
母は自分の実家を「おばあちゃんのところ」と呼ぶ。僕も自分に子供ができたら、慣れ親しんだ自分の実家を「おばあちゃんのところ」と呼ぶのだろうか。

毎年やってくる正月、僕ら家族は各々好きなことをしていて、それは誰が決めたことでも何かを嫌がってそうしていた訳でもなかった。自然とそうなっていった。

ただ、今年は違った。
「おばあちゃん、もう散歩にも行けなくなっちゃってね」
そう言う母の声が、何だか幼く聞こえたから。

一月三日、祖母は元気で、やって来た僕は逆に心配されている。

 

2

母の実家は埼玉県の田舎町にあって、向かいは畑、隣には一面に茶畑が広がっていて、ここは本当に東京都に隣接している県なのだろうかと来るたびに思う。
小さめの庭に、柿の木が一本。内には三匹の猫がいる、二階建ての家。

三匹のうち一番若いメインクーンの「リツ」は、五年ほど前に知らないおばさんがいきなり連れてきた。
「暫く、預かって欲しいんです」
その時のリツはボロボロで、メインクーン特有の長い毛は汚れてぐるぐると絡まり、臭いも酷かったそうだ。

室内に猫を三匹も飼っていて、おまけに一時期は二、三匹の野良猫を世話していたこの家は、「困ったらあそこ持って行けばいい」と近所で噂になっていたらしい。

皆が正月気分で卓を囲むなか、誰にも相手をしてもらえないリツは窓の外に目をやっている。ふわふわの尻尾を振りながら。

「いま電車に乗ると、みんっな下向いて、ジッと画面見てるでしょう?何だか怖くなっちゃう」
そうだよねえと言いながら、自分もその一人だということに少し後ろめたくなる。

祖母にとってスマートフォンは人と連絡を取るための「電話機」なのだ。
ただ、その「電話機」を使って僕らはいつでも必要な情報を見つけることができる。そんな便利なもの、ずっと弄っていたくなるに決まっている。

ふと、ずっと弄っていた「電話機」から目を離し、周りの異常な光景に引いてしまう自分もいる。
電車でなくてもそうだ。街を歩けば、友達や恋人と話していても目が画面に張り付いている人なんて、いくらでもいる。

祖母の気持ちもわかるし、スマートフォンの画面をジッと見つめる人の気持ちも、僕にはわかる。

 

3

昼食を摂ってから眠くなってしまい、二階にある祖父のベッドを借りることにした。

二階に上がると廊下を挟んで二つの部屋がある。左手に猫の部屋、右手に祖父母の寝室。
引き戸を開けて部屋に入ると南に開けた大窓があり、少し先に古ぼけた給水塔が見える。給水塔は西に急ぐ冬の陽射しに当てられて懐かしい色をしていた。

壁。
何枚かのフィルム写真が画鋲でぽつんと留まっている。かけてある額縁の隅に、挟んであったりもする。
娘や孫の卒業式や成人式の写真など特別なものではなく、何気ない毎日の写真だ。
屋形船の中だろうか、まだ若々しさが残る祖母の横顔。
居酒屋で撮ったのであろう、二人の男と共に笑う祖父。
そういう物の何枚かを寝転びながら眺めているうちに、眠ってしまった。

 

4

階段の下から張り上げた母の声で目が覚めた。出かけるんでしょう?もう四時だよ。もう四時なのか。あぁ、大分寝ちゃった。

「ごめん、ずっと寝ちゃったよ」
「いいのよ、またおいでねえ」
「うん、また来るよ」

一人で外に出ると風が冷たかった。
陽はとうに落ちている。
残された明かり少しで、遠く微かに緑色をした給水塔が見える。

 

5

渋谷に出ると今年も始まったばかりだというのに皆忙しい顔をして乱暴に歩いていた。
僕もいたって乱暴になってしまう時がある。
そういう時はきっと、心の中にリツの絡まった長い毛のようなものがあるのだ。

今日はこれから、インターネットで知った素敵な写真を撮っている方の個展に行くことにしている。
浮き足立ちながら早歩きをしていて少し考えた。
「ネットかあ」
独りでに出てしまった言葉が人混みに流される。

 

 

「給水塔の前で待ってて」

2008年にリリースされたClimb The Mindのアルバム「良く晴れた朝は地下を探索しに出かけよう」より。