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2019.04.21

【TENANT 306】月世界宙がえり #4

 

「Stop & Go」

 

1.

最近は眠れないことが多い。
考え事をしているのだ。

春になると思い出すことがある。
それは私が思い出そうとしなくても、葉桜が見え始めた頃の花弁の饐えた臭いや、じわりと柔らかい微風がそうさせるのだ(ぽかぽか陽気だとか、皆んなは言うのでしょう)。

昔から、あの時こうしていたら今ごろ、なんて考えるのが好きだ。というか考えずにいられないのが私の性だった。それは後悔とは違う。妄想、格好良く平たく言うところの哲学みたいなものだ。

 

2.

埼玉と群馬の県境にあるその土地は周りには田んぼと工場しかなく、最寄りのコンビニまで歩くと一時間もかかった。   

夜は歩くのが怖くなるくらいに灯りが足りなくて、会社寮の周りでは蛙やその他の鳴き虫が大きな声をあげていた。
唯一の楽しみといえばギターを弾くこと。部屋で弾くのは禁止で、仕事が終わってからは陽が沈むまで利根川の河川敷でギターを弾いた。
ナイロン弦の音は弱々しく、荒れてもいない穏やかな利根川の流れにかき消された。陽が沈むと涼しくて、虫たちの大きな声と鮮明な星空が何故だかとても怖かった。

週末は決まって、買ったばかりの軽自動車に乗り東京へ向かった。
国道十七号、熊谷バイパスから新大宮バイパス、環七を通った。駅名の順番を覚えるように、横目に過ぎるラブホテルの名前を覚えた。

あの人は練馬区の端っこにあるアパートに住んでいた。私が会いに行くと、いつも眠そうな顔をしていた。そして、その眠そうな顔のまま、やあ。と言ったり何も言わなかったりした。私はいつも笑ってみせた。

 

3.

二人はフリーマーケットなんかが好きで、その類の催しには良く出向いた。
初夏、大きな駐車場で開かれた市場を思う。

所狭しと並んだ車のトランク、そのそれぞれに無造作に置かれた品々。ゴミ山のように積まれた洋服の中から気に入るものを探したり、何に使うかも分からない古道具や異国の変わった置物を眺めたりしていると気の持ちが良くなった。

ひと休みしようと出張型の売店でかき氷を買った。ブルーハワイのシロップは目が疲れるくらいに青くて、食べる前から舌に付くかと心配をしていた。

キャンプ用の白いテーブルセットに、二人で角を埋めるように座った。
遠目には、政令都市に付き物の広く綺麗な道路が暑さにやられて揺れていた。向こうから走ってくる赤いワゴンが、ヘッドライトを点けていて嫌な気分になった。
それらの景色を遮るように、あの人のストローを持つ手が伸びて来てかき氷を掬った。舌と唇が青い。

仕事辞めて、東京で一緒に住んで欲しい

あの人は、目を合わせずにそう言った。落としたストローを拾い上げて、そのストライプ模様を目で追いながら。街の声が少し大きくなって、辺りはさっきよりも蒸し暑くなった気がした。

 

4.

一月半、東京へ行かなかった。
自分でもうまく説明できないが、逃げたかったのだ。
こうしてぼーっとしていても、あの人の家に置いて来てしまったギターのことばかりを考える。

風が涼しくなる頃、久しぶりに東京へ向かった。ラブホテル・ゲームは全問正解。道も空いていて、窓を開けると夜風が心地良かった。
アパートには、もう誰も住んでいなかった。
悲しくなるより前に、ギターがないと夜の河川敷は怖いだろうなと思った。

 

5.

東京へ独り越してきて、三度目の春になる。
越してきてすぐに、去って行ったギターと似た形のアコースティックギターを買った。

窮屈な小田急線。立ちながらうたた寝をしてしまい、乗り過ごしそうになる。逃げるように降りて、多摩川沿いをゆっくりと歩く。
人気のない土手に座って、ギターのハードケースを開ける。甘い匂い。手に取って弦をはじいてみる。
スチール弦の響きは力強く、多摩川の流れには負けないようだ。
耳を澄ますと、何匹かの似たような虫たちが鳴いている。じわりと温かい風に気がついて、遠くの街を見つめる。
煌めく夜景の上、星たちは霞んで見えている。

 

1973年にリリースされたHamilton Bohannonのスタジオ・アルバム「Stop & Go」より。